日本のコメについて考えてみた

JAの方と話をしていて、農業政策についていろいろ考えさせられました。

たとえばお米農家を集約して規模を大きくしないといけないという議論があります。それも必要かと思いますが、世界規模でみると現実的かどうかわからなくなりました。


日本のコメの生産量は年間800〜900万トン。世界全体のコメの生産量は4億3〜4000万トン。日本の生産量のシェアはほんのわずかです。

もしコメが世界中で自由に貿易ができるなら規模の点で世界と勝負になりません。ブラント米として生き残る方法もあるかもしれませんが、基本的に食べ物は日常の生活で必要なものであり、どこで作ってもコメはコメです。

コモディティという言葉がありますが、これは市場に流通している商品が生産者ごとの個性を失い、消費者にとってはどこから購入しても大差ない状態になること。石油、金などが有名ですが、トウモロコシや大豆などの穀物もすでにコモディティ化しています。そうなると価格以外は差別化ができなくなり、結局市場価格ですべてが決まるようになります。

先ほどいったように、コメもトウモロコシや大豆同じ日常の食べ物ですから、コモディティ、つまり価格がすべてを決める状況になりやすい。

今のグローバル経済の中では、コモディティ化した商品を扱う会社は、併合・合併を繰り返し世界で数社にまとまる傾向になります。石油メジャー、穀物メジャーというように、体力がある会社がすべてを決めるようなるわけです。世界で残るのは商品ごとに数社しかないだろうといわれています。

そんな中で、コメについて仮に全日本で世界に臨んだとしても規模の違いから勝ち目はほとんどないと言わざるを得ません。

日本のコメは世界のブランドとなるという論は一部のコメ農家には当てはまるかもしれませんが、日本全体の戦略として考えてはならないでしょう。単純な市場開放は日本の農業を壊滅させるかもしれません。


同じような考えで医療を考えてみると意外なことが見つかるかもしれません。JAの方に、考えるきっかけをもらいました。