危機管理の経験で、備えの意識が強まり、迅速な対応を生む。

先日の総会の後、いくつかの役割を果たした後、近くの居酒屋で若手会員が飲み会をしていたので、そこに合流。全国からの集まっているので、お互い刺激し合ういい機会です。宴も更けてお開きになるころ、同じお店に長崎県看護連盟の皆さんが入ってきました。

せっかくなので、そのまま席を移り、今度は長崎県の皆様とお話し。


震災の後、原発のそばにある南相馬市に真っ先に医療チームを送り、極めて困難な地域を支えてきたのが長崎県の皆さん。その活躍の様子は、「被災地で頑張り続けている看護の仲間を応援しよう!看護連盟プロジェクト」にも掲載されています。

http://gambarekango.seesaa.net/


原爆被ばくの経験が、長崎県の活動を支えているのかと思っていましたが、それだけではありませんでした。

昭和57年に、長崎市内を中心に、大水害がおきました。死者・行方不明299名、住家被害39,755戸、崖崩れ4,306箇所とすごい被害でした。この時の苦労した経験が今の津波への対応に生きています。水にぬれて、流されて大変だ!と私たちが思っている頃に、長崎の方々はすでに、しばらくしたら乾燥が始まり粉じんによる感染症が増えるから大変だ!と言っていました。私たちも最初からいろいろとアドバイスをいただいていました。

平成3年の雲仙普賢岳火砕流の経験もあります。被災への対応は、危機管理の経験と備えによって、変わってくることを感じました。